かまいたちの夜について語ろうか。かまいたちの夜のは1994年にチュンソフトから発売されたサウンドノベルゲームだ。サウンドノベルシリーズとしては弟切草に継ぐ第二弾になる。現在ドラクエの開発といえばレベルファイブが有名だが、当時チュンソフトがプログラミングを担当してた。そしてその開発資金を元手に独自のゲームを開発するのが弟切草だった。
かまいたちの夜の脚本は我孫子武丸、監督は麻野一哉。総監督は中村光一ということだが、中村光一氏はチュンソフトの代表取締役社長である。小規模開発でも面白いゲームを生み出すことができた象徴的存在として、かまいたちの夜をふり返ざるを得ない気がする。ゲームシステムは複雑な方がいいか、画像は綺麗な方がいいか、そういったことはどちらか一方が良いというわけではなく、どうすればゲームの世界観に合致しているのかということの方が何十倍も重要であるということを痛感するゲームだった。なぜなら、かまいたちの夜はゲームシステム的にはシンプルなものであったがオリジナリティのあるものだった。また映像は派手な動きは無いが、表示される写真的画像の特異なアングルや青い影で表示されるキャラクターはゲーム全体の雰囲気を決定づけるものとなっていた。
僕らは何かを評価するときに数値化したがる。 そして数値が大きい方がいいと思われる。支払うお金は少ないほうがいいんだけれども。数字が数字を追う無限の戦いに少人数のクリエーターが戦いを挑むのは無謀だ。そしてそれを挑めば、人に知られる事なく消えて行くだけだ。だから彼らはゲーム業界にゲリラ戦を挑んだ。正々堂々と。それはかまいちたちの夜でストーリーを読み進めながらじっと犯人を探しているようだ。圧倒的少数で不確実な環境で正解を導き出す方法は、知恵をふりしぼり、地道に一歩ずつ問題を解決していくしか無い。そんなことを思った。
サウンドノベルシリーズというゲームは全く新しいゲームであったのだけれども、当時出ていたゲームブックと呼ばれる書籍をベースのアイディアとしていた。ゲームブックは普通の小説のように読み進めていくのではなく、選択によって特定のページに飛ばされながら読み進めていく小説である。これが生まれたきっかけはもちろんゲームだ。ゲームをベースとしたゲームブックを、ベースとしたサウンドノベル。僕はそのプラットフォームの垣根を自由に行き来した自由な発想が新しいゲームを作ったと思う。
ゲームと小説。ゲームと映画。ゲームと音楽。どちらが素晴らしいと言えるものではない。ましてや数値化なんてできやしないし、面白いゲームを作ること何ら関係がない。僕らは夢中になる世界が欲しいのだ。それが冒険だったり快楽であったり恐怖であったりするのはなんでもいい。なんでもいいから僕らは夢中になれる世界が欲しいのだ。
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