2011年8月4日木曜日

ジャンクメタルについて語ろう

ジャンクメタルについて語ろう。当時のスクウェア(現スクウェア・エニックス)ジャンクメタルは2003年12月8日にベータテストをした機械を乗りこなすMMORPGだ。MMORPGでありながら機械のパーツアップの広さや、各種陣営に分かれての戦闘など現在から見ても、斬新な要素が盛りだくさんのゲームだった。

主な開発陣な下記の通り。

メカニックデザインまたはイラストレーターとして、横山宏、杉浦善夫、藤岡建機、木下ともたけを採用。グラフィックエンジンは Touchdown Entertainment社の Lithtech Jupiterエンジン、通信部分のミドルウェアとしてコミュニティーエンジン社のVCEを採用している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/JUNKMETAL

ゲーム性としてはフロントミッション+アーマードコア+FPSシューティング+信長の野望オンラインといった印象だ。オンラインゲームにおいてコミュニケーション要素は非常に重要な要素となる。そしてMMORPGにおいてその主たる方法は見た目と会話だ。ただし、その方法だけなのだろうか。ジャンクメタルはそれにおいて新しい方法を提示した。

例えば傭兵システムで、プレーヤーは二つの陣営もしくは、フリーという陣営を選択することができる。すなわちその陣営によってプレーヤーの個性が生まれる。また戦闘もプレーヤー同士か、NPC戦やミッションを行っているのかという点も可視化されている。これもコミュニケーションの方法であった。

そして言うまでもなく世界観が素晴らしかった。鉄屑に乗る戦争という殺伐とした空気感を細かいアイテム名や風景、音楽で表現していた。

今現在においても見た目と会話以外にコミュニケーションの枠を広げようとするゲームは多くない。ジャンクメタルは間違いなく斬新で時代を切り開くゲームだった。ビジネスが成り立たず2005年にサービスを停止してしまったこと、ジャンクメタルに続くゲームがでてこないことが残念に思う。

なおジャンクメタルは復活委員会というものも設立されている。
http://www.junkmetal.info/keizoku/

(続編も出そうな雰囲気だけどね)
http://www.4gamer.net/games/110/G011014/20100519001/



2011年8月3日水曜日

東風荘について語ろう

東風荘について語ろう。東風荘はオンラインで対戦できるネット麻雀である。1997年よりサービスがスタートし、いまはiPhone版が出るなどして引き続きサービス継続中だ。

Googleがサービスを開始したのが98年だから、それより以前にあるネットサービスということになる。僕はこうしたドメスティックではあるが継続してサービスを提供しているネット企業には敬意を払わずにいられないのと同時に、麻雀というゲームの堅牢さを改めて実感する。

また当時はインターネット料金定額制などなく95年からサービスを開始したテレホーダイという深夜のみインターネット接続料金が定額になるサービス(回線速度は遅かったが)を利用しているユーザーが多かった。 となると、どういう現象が起こるかといえば、深夜になると皆が東風荘にあつまりコミュニケーションを図り出す。限られた空間だけでなく限られた時間によるユーザーの集積起こるのだ。

現在でもオンラインゲームは過疎ったらおしまい、スタート時に何人会員を集められるかということに多くの意識を払っている。当時のことを思うと、限られた時間という解決策があるのではと思うほどだ。

いずれにせよ、東風荘はインターネットの始まりと共に在り、そして今も存在しているオンラインゲームなのだ。よく東風荘を知らない人はお金をかけずに麻雀をして楽しいのかという疑問があるだろう。 そこで考えだされたレートシステムが、後から出てきた東南荘や他の麻雀プラットフォームからもサービスを守り続けたシステムなのである。

レートシステムとは単純に、麻雀の勝敗によって上下するポイントである。この目標があるがゆえに他のサービスに移行しづらくして、東風荘を守った。そしてこのレートシステムもよく考えられている。ただ単純に青天井のレートシステムではなく、大きく二つの原則に基づいている。「試合数の少ない人は変動が大きい」、「高い人に勝つと大きく上がる、引く人に負けると大きく下がる」だ。単純ではあるが回数をこなすことによって実力があるレートに収束することを念頭において作られたよくできたシステムで、レートが高い人に勝つと達成感がある。

そしてレートシステムがアバターも何もない当時のオンライゲームの個性となったのだ。数値でも個性を表現できるという証明になったも言えるだろう。

現在ではアーケードのオンライン麻雀ゲームやSNSに付随した麻雀ゲームも登場している。それらはよく見てみると東風荘をベースに新たな要素を付け加えている。東風荘はこうしたオンライン麻雀の礎になったのだ。


2011年8月2日火曜日

M.U.G.E.Nについて語ろう

再開、一回目はMUGENについて語ろう。MUGENとは知る人ぞ知るフリーのゲームエンジンだ。画像やデータなどを用意することで自分オリジナルのキャラクターが動かせる格闘ゲームエンジンである。以下はWikipediaカラの引用である。

このゲームエンジンは非常に自由度が高く、商業2D格闘ゲームなどに見られる機能であれば、ほぼ全て実装できる。様々なキャラクターや ステージを追加でき、アドオンで体力ゲージやキャラクター選択・タイトル画面などを変更できる。発表されているキャラクターの種類は自由であるため、ユー ザーはゲーム、作品等といった既存の枠組みを超えた対戦が可能である。M.U.G.E.Nオリジナルのキャラクターも多数存在しており、オリジナルキャラ クターの中には既存ゲームに匹敵するような完成度のキャラクターもいる。

日本国内のポータルサイトを見ると明らかなように、キャラクターは著作権で保護された既存のゲーム作品のグラフィックデータ・音声データを違法にコピーしたものが多数である。ポータルサイトではそれについて一切言及せず、多数のユーザーがそれを意識せずにプレイしている。

(中略)

M.U.G.E.Nのキャラクターやステージのデータは、主に以下のようなファイル群で構成されている。
defファイル
キャラクターやステージの基本設定を示すファイル。キャラクターの基本情報や、どのファイルが使われるかを記す目次のようなファイル。キャラクターを登録する場合、このファイルを指定する。

cmdファイル
キャラクターの技のコマンドや発動条件を制御するファイル。

cnsファイル
キャラクターの心臓部とも言える、動作を制御するファイル。定数やステート定義によって細かく挙動を指定でき、格闘ゲームの枠に囚われないキャラクターを作ることも可能。M.U.G.E.Nにおける「キャラクター製作」とは、主にこのファイルの製作を意味する。

sffファイル
キャラクターの画像を複数まとめて格納したファイル。ゲーム中のグラフィックだけでなく、選択画面や体力ゲージで表示されるポートレイト、攻撃のエフェクトなども含まれる。

airファイル
sffに格納された画像を実際にアニメーションさせたり、攻撃判定、当たり判定などを指定・制御するためのファイル。

sndファイル
キャラクターの音声や効果音を格納したファイル。

http://ja.wikipedia.org/wiki/M.U.G.E.N 

MUGENよって何が出来るのかといえば、例えばガンダムVSエヴァンゲリオンなどの格闘ゲームが作れるのである。しかも上記に上げたファイル群の多くは公開されている場合が多く、簡単にファイルを追加するだけでキャラクターを追加する事ができる。また議論の余地はあることはもちろんだが、その元データはROMから吸い出したものであったりすることも多い。すなわちキャラクターのデータはオリジナルに匹敵するのである。

当時の我々はファイルを交換しあい、あり得ないキャラクター同士の対戦格闘ゲームを作って遊んだのである。

このMUGENというシステムは90年代の終わりに登場したわけだが10年以上経った現在から見ても非常に興味深い。今回はそのうちの3つのポイントに絞ってまとた。

1.格闘ゲームとにおけるチューニング

MUGEN をプレイしたことのある人で合えば誰でも感じることであろうが、MUGENのゲームバランスはかなりおかしい。というのも当たり判定や必殺技の攻撃力はユーザーが勝手に作るのである。そりゃ強いキャラクターと弱いキャラクターの差が大きくなる。それによってプレイヤーが感じるのは非常に大味なゲームと言う印象である。

そして原点に立ち返るのである。格闘ゲームの醍醐味はキャラクターだけでなく、非常に緻密なゲームチューニングであると。

1994年に発表された「エックス・メン チルドレン オブ ジ アトム」を筆頭に格闘ゲームにおけるキャラクターの重要性は揺るがない。ただし一方でゲームのチューニングはどうであろうか。例えば、2008年に発表された「ストリートファイターIV」は非常にチューニングがされており、事実評判も良かった。そしてこのゲームが現在アーケード格闘ゲームの救世主となっている。

MUGENはその性質から格闘ゲームのチューニングについて非常に多くのことを残したと言えるだろう。

2.キャラクターの権利と世界観

MUGENの多くの特徴は、そのキャラクターの無法性である。スト2のリュウが登場したり、KOFの草薙京が普通に登場する。しかも数多くのバージョンで。版権など関係なしに。そしてそれこそがMUGENの面白さなのだ。

 法的な問題は数多くあるだろう。権利の保持者はキャラクターの世界観を守るためにNOというかもしれない。が、しかしMUGENはあくまで場外プロレスなのだ。メインストリームになることは無い。むしろキャラクターの知名度が向上するということも言えるだろう。

80年代〜90年代において競合ゲームのキャラクターを自社ゲームに登場させ合うというジョークが流行った。 たとえばお墓で登場したり(リンクやロトの墓)、背景キャラクターに混ぜ込んだりした。これらは結果的にゲーム業界を盛り上げることに繋がる。

そして現在のVSシリーズにおけるゲームがこの流れを組んでいると思っている。Xメン、マーブル、鉄拳などなどである。プロレスと言う意味でどんどん取り組んでいいのではないだろうか。キャラクターは外に出るべきである。ゲームのキャラクターは守られる存在ではなく、ユーザーによって作られる存在という側面があるということだ。

3.ゲームエンジンという発想

3Dゲームが多くなった現在、ゲームエンジンは非常に重要な存在となった。Unity Technologies 社の Unity 2.1などは非常に有名なゲームエンジンである。それの多くはゲーム開発工数を下げるといった側面のみ注目されているが、果たしてそれだけなのだろうか。

MUGENもゲームエンジンだという発想に立ち返れば、多くのことが見えてくる。オープンなゲーム開発や、ユーザー参加型のゲーム開発という視点である。ゲームエンジンはそのユーザー同士のコミュニティも重要なのである。

全ての点においてMUGENは新しかったが、これらゲームエンジンの開発においても「MUGENならこうできた」という発想を持つことで新たな視野が生まれるだろう。






2010年8月23日月曜日

KOF98について語ろうか

KOF98について語ろうか。『ザ・キング・オブ・ファイターズ』(THE KING OF FIGHTERS)は、1994年にSNK(現・SNKプレイモア)が発表した対戦型格闘ゲームのシリーズ名でKOF98はその5作品目になる。98のストーリは前作の97にてオロチのストーリーは完結している為にあまり内容の無いものになっている。

だがしかし、アーケードの格闘ゲームに何のストーリーが必要なのか、「KOFは各ゲームからキャラクターが集まった夢の祭典だ」というメッセージが強く感じられる。格闘ゲームにはストーリーは必要かどうかというのは議論の余地があるし、個人的にはストーリーがあり、背景があり、それにより技やキャラクターの性能が決められるべきであると感じてはいるが、夢の祭典の素晴らしさは否定できるものではない。 そしてこの作品がSNKのイメージを決定づけることになった。10年以上、毎年KOFをリリースすることが決まった開発チームの壮絶さは想像するに難くない。

KOFの楽しみは豪華絢爛さであり、キャラクターの詳細な作り込みではない。これはどちらが良いという一概に言えないものであり、これがカプコンとSNKを分けるものだと強く思う。KOFをプレイしてみればわかると思うが、キャラクターのタイプ分類はあるが、多くのキャラクターは少しの慣れで扱うことができる。これはカプコンにもセガにもナムコにも無いことだ。要は豪華にキャラクターをだしたのだから、簡単に多くのキャラクターを使えたほうがいいわけだ。少しにている部分で言えばスト3のブロッキングシステムだ。このシステムは、攻撃を受ける瞬間に前方向を入力することで攻撃を無力化することができるのだが、全てのキャラクターの防御シーンで正解の選択肢となる。

要は防御はブロッキングとなるわけだ。KOFで言えば避けや前転である。そして各種攻撃からの連続技を叩き込む。これが正解の選択肢として全キャラクターで用意されているため、使用キャラクターの変更が比較的用意なのだ。ただし、この正解は、新たな問題を生む。キャラ性能の良さが勝敗に直結するのだ。いわゆるジャンケンのような3すくみの選択では無いため強いキャラクターはひたすら強い。故にシリーズを経るごとに新キャラクターを造らなくてはならないというループに陥る。10年も経てばキャラクター量は膨大になるし、膨大になればなるほど、キャラクターの魅力をアピールすることは難しくなる。今から振り返ってみれば、こうした功罪を入混ぜたゲームがKOFだったと思える。

2010年7月26日月曜日

サムライスピリッツについて語ろう。

サムライスピリッツについて語ろう。サムライスピリッツは1993年にSNKから発表された格闘ゲームである。格ゲーの歴史で言えば1991年にスト2餓狼伝説、1992年に龍虎の拳が出ており、次の作品である。

サムライスピリッツは正直いってキャラクターバランスが作りこまれたゲームではない。何にもまして強攻撃の威力の高さが尋常ではない。「いざ尋常に勝負」 との掛け声でゲームがスタートするのだが怒りゲージがMAXならば3〜4撃食らうと死んでしまう。いったい何なんだろう。確かに怒りゲージは新しかったし、今のスト4のリベンジゲージなどでも踏襲されている。またキャラクターが明確に真っ二つになるアニメーションは保護者は目を覆いたくなるようなシロモノだろう。

だがしかし、なぜこれまでにこのシリーズが愛され、続編がどんどん出されたのだろう。なんとタカラからゲームボーイ版のサムライスピリッツ(1994年)も出されているのだ。これはこれで結構面白かったのだ。というよりかなりゲームボーイにあったゲームシステムだった。それは複雑な操作が無いという点と、強攻撃がAB同時押しというダイナミックな操作が要求されている点だ。恐らくカプコンでの6ボタンシステム対SNKの4ボタンシステムの葛藤の中で生まれた苦肉の策だったのだろうが、ボタン2つを同時押しするとうダイナミックな操作がダイナミックな攻撃力になるという操作感は上々だ。

タイミングを見て大攻撃を当てていくこのゲームは子供でも遊べるし、親が望まない鴨知れないがグロテスクな描写は子供受けしやすい。もちろん従来のような連続技や連携などはあるが、それは二の次のシステムだということがわかる。そしてその結果、どんなキャラクターを使ってもそこそこ遊べる。対CPU戦においてはプレーヤーは色々なキャラクターを操作することで、やりこみの要素となったのかも知れない。いずれにせよ、思い切った切り捨ては武器にもなる。もちろん思い切った切り捨てによって浮かばれなくなったゲームも多数存在するのだが。。。

ただただ、なによりもサムスピの魅力は侍だということに尽きるだろう。 キャラクターや時代設定の勝利だ。(そういえば一時期ロボット格闘ゲームもあったが続編はなかった、ただバーチャロンは面白い)サムスピシリーズは続編が出るたびに、大きくゲーム時ステムが変更されているだが、サムスピのイメージが維持されている理由は侍という要素に尽きる。侍でスカッとした生き方がしたいのだ。だからシステムが改変されてもストレスレスな操作感は維持され、日本的な侍や忍者が追加されるのだ。僕らはチャンバラが好きなのだ。大河ドラマが好きなのだ。そして恐らくこれはずっと続いていくのだろう。

2010年7月20日火曜日

ロックマン2 Dr.ワイリーの謎について語ろう

ロックマン2 Dr.ワイリーの謎について語ろう。ロックマン2は1988年にカプコンから発売されたアクションゲームである。横スクロールアクションゲームの礎を築いたゲームは1985年に発売されたスーパーマリオであるがロックマンというゲームはそれを大きく塗り替えた。

大きな相違点は相手のボスを倒すとそのキャラクターの能力を自分のものにすることができるという点である。そしてそれぞれのボスキャラクターにには弱点があり、ボスキャラクターを倒す順番に戦略が生まれる。ゲームシステムをデザインするときに、常に根幹にあるべき部分としてはプレーヤーにたいするポジティブなフィードバックをどうつくるかという点である。

先に上げたスーパーマリオで言えば、何ステージまでクリアできたかという点である。ドラゴンクエストであればレベルアップによりキャラクターが強くなるという点である。 ドラクエ2の発売は1986年であり、初代ロックマンは1987年に発売されている。そういった意味でキャラクターが強くなるというゲームの基板は既に出来ていた。RPGとアクションゲームをどのように組み合わせるか、という難点を上手くクリアしたゲームがロックマンである。

単純にキャラクターのHPが増加するのではなく、キャラクターに新能力を身につけ指せるという解決策は見事としか言いようがない。無限に強くなる仕組みではないのでゲームバランスを壊さず、あくまで戦略の部分はプレーヤーに委ねている。相手キャラクターの解決策を試行錯誤しながらクリアしていくのである。その試行錯誤に面白みがあるのである。一方で難易度調整が難しくなる。Eカンの登場や2コンを使った裏技という解決策が正しかったのかは分からないがギリギリのラインでクリアしていると個人的には感じている。

ただし、現代であれば攻略サイトがすぐ作られてしまう。考えながら答えをトライアンドエラーで探す事ができない。こうした時代においてプレーヤーにどのように余白を提供するかは未だに大きな課題であるといえる。時間効率や最強を求める因果からどうやって現代ゲームは逃れる事ができるのだろうか。僕個人としてはゲームのゴールは人生のゴールと同じく、正しい正解が無いということを再認識する必要があるのではないかと思う。

少し話がそれたが、ロックマン2は1980年代のおわりに登場した革命的ゲームのひとつであることは間違いない。そしてそれは常にプレーヤーの余白を考えていた。ロックマン2からボスキャラクターの一般募集が行われたのも偶然ではない。(リアルタイムの人たちはこぞって応募した記憶がよみがえるかも知れない) プレーヤーの余白を最大限に活かすゲーム設計をアクションゲームで行うのは至難の業だ。ロックマンは爽快感や自己満足を無限に与えるだけがゲームデザインではないということを痛感させてくれるゲームだった。

2010年7月12日月曜日

龍虎の拳について語ろう

龍虎の拳について語ろう。龍虎の拳は1992年にSNKが発表した格闘ゲームである。ストリートファイター2の発表が1991年であるから、いわゆるスト2ブーム中に対抗策としてリリースされたゲームである。この龍虎の拳が、後にKOF(キングオブファイターズ)へのSNKらしいゲームの流れを作ったゲームだったと思う。その中心が龍虎乱舞と呼ばれる超必殺の存在である。

超必殺技とは体力ゲージが少ないなど「ある特定条件下」で出せる、とても攻撃力の高い必殺技である。 多くの場合、そのコマンドは複雑なものである。この龍虎の拳で出せる龍虎乱舞はガード不能であり、体力の7〜8割を奪う。はっきり言ってやりすぎだと思うが、スト2の回でも書いたようにSNKのゲームは対戦特化型ではないのだ。CPU戦という事も目的に置かれている。また龍虎の拳での新要素、必殺技を打つために必要な気力ゲージという要素を追加する事によって、超必殺発動条件のハードルを上げている。ストーリーを進めていクト登場するボーナスゲームでキャラクターを強化できる点も、CPU戦を強化する目的だろう。

そして、龍虎の拳ではキャンセルがないのも特徴だ。そのかわりに前述した気力ゲージを消費する必殺技があり、必殺技の威力は高めである。要は、連続技という要素ではなく、技の刺し合いであったり、必殺技の出し合いによってゲームを楽しむのである。このことはキャラクターの距離よって、グラフィックが大きくなったり、小さくなったりする仕様が、本作に盛り込まれていることからも推察できる。

また、その為にCPU戦では攻略方法などがある。相手の気力ゲージをゼロにしてから、特定の技を待つとかである。この必勝法の存在が良くも悪くもSNKのゲームを特徴つけている。麻雀とドンジャラはどちらが優れているのだろう。もっと言えばジャンケンと麻雀はどちらが勝負として優れているのだろうか。どっちが皆に好かれてるのだろうか。僕の答えは麻雀が好きだ、ジャンケンは弱い、ドンジャラは子どもっぽいだ。異論は認める。きっとそうゆうことなんだと思う。僕らはそれぞれの楽しみ方でゲームを楽しめばいいのだろう。