2010年6月28日月曜日

かまいたちの夜について語ろうか

かまいたちの夜について語ろうか。かまいたちの夜のは1994年にチュンソフトから発売されたサウンドノベルゲームだ。サウンドノベルシリーズとしては弟切草に継ぐ第二弾になる。現在ドラクエの開発といえばレベルファイブが有名だが、当時チュンソフトがプログラミングを担当してた。そしてその開発資金を元手に独自のゲームを開発するのが弟切草だった。

かまいたちの夜の脚本は我孫子武丸、監督は麻野一哉。総監督は中村光一ということだが、中村光一氏はチュンソフトの代表取締役社長である。小規模開発でも面白いゲームを生み出すことができた象徴的存在として、かまいたちの夜をふり返ざるを得ない気がする。ゲームシステムは複雑な方がいいか、画像は綺麗な方がいいか、そういったことはどちらか一方が良いというわけではなく、どうすればゲームの世界観に合致しているのかということの方が何十倍も重要であるということを痛感するゲームだった。なぜなら、かまいたちの夜はゲームシステム的にはシンプルなものであったがオリジナリティのあるものだった。また映像は派手な動きは無いが、表示される写真的画像の特異なアングルや青い影で表示されるキャラクターはゲーム全体の雰囲気を決定づけるものとなっていた。

僕らは何かを評価するときに数値化したがる。 そして数値が大きい方がいいと思われる。支払うお金は少ないほうがいいんだけれども。数字が数字を追う無限の戦いに少人数のクリエーターが戦いを挑むのは無謀だ。そしてそれを挑めば、人に知られる事なく消えて行くだけだ。だから彼らはゲーム業界にゲリラ戦を挑んだ。正々堂々と。それはかまいちたちの夜でストーリーを読み進めながらじっと犯人を探しているようだ。圧倒的少数で不確実な環境で正解を導き出す方法は、知恵をふりしぼり、地道に一歩ずつ問題を解決していくしか無い。そんなことを思った。


サウンドノベルシリーズというゲームは全く新しいゲームであったのだけれども、当時出ていたゲームブックと呼ばれる書籍をベースのアイディアとしていた。ゲームブックは普通の小説のように読み進めていくのではなく、選択によって特定のページに飛ばされながら読み進めていく小説である。これが生まれたきっかけはもちろんゲームだ。ゲームをベースとしたゲームブックを、ベースとしたサウンドノベル。僕はそのプラットフォームの垣根を自由に行き来した自由な発想が新しいゲームを作ったと思う。

ゲームと小説。ゲームと映画。ゲームと音楽。どちらが素晴らしいと言えるものではない。ましてや数値化なんてできやしないし、面白いゲームを作ること何ら関係がない。僕らは夢中になる世界が欲しいのだ。それが冒険だったり快楽であったり恐怖であったりするのはなんでもいい。なんでもいいから僕らは夢中になれる世界が欲しいのだ。

2010年6月22日火曜日

くにおくんの時代劇だよ全員集合について語ろうと思う

くにおくんの時代劇だよ全員集合について語ろうと思う。くにおくんの時代劇だよ全員集合は1991年にテクノスジャパンより発売されたアクションゲームだ。くにおくんシリーズはドッチボールをはじめ各種リリースされているが時代劇だよ全員集合は中でも完成度が高い。

テクノスジャパンはこのくにおくんシリーズに頼りすぎたのか(ダブルドラゴンシリーズも面白いのだが)1995年に倒産した。

テクノスジャパンはいわゆるシリーズものではあるのだが、くにおくんというキャラクターをベースに新しいゲームを生み出していた。 いわばスーパーマリオを同じだ。マリオは生き続け、くにおくんは消えて行くことになったことについては、感慨深いものがある。

いずれにせよくにおくんの時代劇だよ全員集合はくにおくんシリーズの中でも最高傑作だ。二人協力バトルもできるし、殴り合うこともできる。ここらへんはファイナルファイトのゲームシステムと同じだ。ただ(熱血硬派シリーズはおいておいたとしても)くにおくんシリーズの殴り合いは、いわばじゃれ合いのような雰囲気を感じさせる。それは、二頭身のキャラクターによるものなのか、アクションによるもののかだろうか。恐らくそれは、ゲーム全体がじゃれ合うように殴り合うことをを中心に作られていたからだ。

殴り合うという行為はまさに暴力的なもので褒められたもので無いことは十分承知の上でだが、そこには魅力的な要素がある。暴力による魅力ではなく、いたずらゴコロにに殴るのである。もしそれが全て否定されるのであれば、漫才におけるツッコミも否定されるべきである。そんなことは容認できない。僕らは、コミュニケーションまたはスキンシップの一部として殴り合うことを容認している。 もちろん痛いのは嫌だが、ゲームなら痛くはない。この線引きがこのゲームの肝だと思う。

また時代劇だよ全員集合には多くの必殺技やキャラクター、アイテムが存在する。しかもその全てがバカバカしい。人間ドリルだとか、山田スペシャルだとか。ただ僕らはその舞台に上がったのだ。舞台に上がったのであればバカバカしいことを大真面目にやるから面白い。そしてそれは漫才やコントと同じだ。漫才師が照れながらボケたってちっとも面白くはない。大真面目にボケるツッコムから面白いのだ。僕はこのドリフト同じタイトルをつけた作品がただ単に語呂がいいからでは無いと信じている。この時代劇だよ全員集合は僕らをその舞台に上げるゲームだったんだと思う。

2010年6月21日月曜日

テトリスについて語ろうか

テトリスについて語ろうか。テトリスは旧ソ連の科学者アレクセイ・パジトノフを中心とした3人が考案した教育ゲームだった。1984年にプレイアブルな状態で発表され、日本ではアーケード版テトリスがセガから1988年に発表された。同年にファミコン版もBPSから発売される。ゲームボーイ版は1989年に任天堂から。

このように様々な会社からリリースされていることからもわかるように、このテトリスと言うゲームのライセンスは非常に複雑な事になっていた。 通常企業が海外でソフトウェアを販売するときライセンス契約を締結するが、このライセンス契約の中身によって、ライセンス自体を切り分けることができる。例えばアーケード版はA社に、コンシューマー向けはB社に、C社はA社とB社の範囲を阻害しない範囲で利用可能といった具合だ。ただし複雑なライセンス契約は、ソフトウェアが売れた場合、もめる事が多い。そして大抵、もめるポイントは契約書に記載していない部分だったりするから厄介である。

おそらく、旧ソ連で作られたという事を抜きにしてもライセンスが複雑な事になっているケースは多いだろう。ただしテトリスの場合はの複雑さは、もろに表出化した。それほどまでにソフトウェアの魅力があったと言うことだろう。

ゲームのライセンスやパテントとの問題は、実は多く起こっている。ファイナルファンタジーのアクティブタイムバトルと言うゲームシステムは特許を取得している。これにより、他社は模倣をすることができなっくなっている。特許を認められるには独自性が必要なわけだが、これの判断は非常に難しい。また、ある程度のゲームシステムの保護がなければ、新しいゲームシステムを考えると言うことを放棄して、パクリだらけのゲームをが生まれかねない。ただガチガチに保護してしまえば、音楽ゲームなどのように訴訟ばかりになり、ゲーム開発現場の自由度が失われてしまう。

ゲームクリエーターとしての判断は面白いゲームを作ることに主軸が置かれ、経営者はマネー的な物を含めゲーム制作の環境をより良くすることに主軸が置かれる。これらの判断は経営者とゲームクリエーターと言う立場で異なるし、それの中で最適なバランスを保っていくべきなんであろう。

すこし話がそれたが、このテトリスと言うゲームの広がりはすごかった。キーチェーンなようなものにも盛り込まれた。文字数にして551文字のテトリスコードも書かれたりもした。このソリッドさ、シンプルさがテトリスの魅力となっている。ゲームシステムは難易度はスピード、目ずべきはスコア、ブロックを敷き詰めて消す、いっぱい同時に消すと高得点、以上である。 中毒性高めの音楽もゲームに没頭させる要因になっていると思われるが、、それは中心的要素ではない。僕らは音楽を消しても没頭できた。

上からブロックが降ってくる。僕らはこれを変えることはできない。与えられた状況でベストを尽くす。そして何時までもテトリス棒を待ち続ける。そしてテトリス棒が与えられ、全てが消えていくのだ。このゲームの目的はストーリーを追うことでもなければ、知識を詰め込むことでもなく、与えられた状況でベストの回答をより短時間出だすことだ。それを反復しながら続ける。勝ち負けは無い。いうなれば、テトリスは野球ではなくキャッチボールだ。バットとボールトの対決でなく、ボールを使った相手とのコミュニケーション。テトリスにおいては乱数と脳とのコミュニケーション。

僕らの脳は生きている限り、回転することを望んでいる。そして気持ちいの良い回転速度があるんだと思う。その回転速度を出させるゲーム がテトリスだったんだと思う。

2010年6月16日水曜日

ゲームボーイウォーズについて語ろうか

ゲームボーイウォーズについて語ろうか。ゲームボイーウォーズは1988年に発売されたファミコンウォーズの続編として1992年に発売された戦争シュミレーションゲームだ。当時、印象的なCMを流していたので記憶がある方もいるだろう。

「ファミコンウォーズを知ってるかー」っというやつだ。ちなみにファミコンウォーズのプロデューサーは横井軍平さんだ。横井軍平さんといえば十字キーを作ったり、ヨコイズムと呼ばれる皆で遊ぶということに主眼をおいた考え方を残したり、宮本茂さんと現在の任天堂を作った方だ。インタビュー記事などを読むとそのおちゃめな人格がよくわかる。ただ話せば長くなるので、十字キーの発想や横井さんについては別の機会にかたろう。

ゲームボーウォーズはシュミレーションゲームだ。シュミレーションゲームの礎を気づいたのは1983年に発売されたコーエーの「信長の野望」ではあるが、ゲームボーイウォーズはそれとは別の面白みがふんだんに盛り込まれていた。

ゲームボーイウォーズの発想は自分でコマが作れる将棋である。要するに乱数の要素がほとんど含まれていない。一手一手コンピューターと読み合いながらゲームを進めていく。そういった特性からコンピューターのAIによる計算時間が長めになっているのだが、おそらくそれは強さと計算速度のぎりぎりの調整の結果だろう。いわゆる運の要素の少ないゲームというのは、ある意味で調整のごまかしが効かない。またゲームボーイという特性が逆に生きた。現在のケータイゲームの発想はプレイ時間を長くても15分程度にし、駅間の移動時間などでゲームが消化できるように設定する。ゲームボーイウォーズはそうではない。あいての思考時間があるため、その間はマンガを読んだりテレビを見たりするのだ。それを狙ったのかどうかは怪しいが、いわゆるながらプレイを生み出した。それは携帯ゲーム機ならではの特性だった。

 またテレビゲームと将棋の違いとして、プレーヤーの思考時間のハードルはゲームの方が低い。比較の問題だがゲームプレーヤーはそこまで深くは考えるのは好きではない。そこでゲームボーイウォーズの好きなコマを精算できるシステムが生きてくる。要は自分なりの戦略を立てやすくしている。それがゲームのキモである。プレーヤーはそれなりの難易度を楽しみたいが、どうじに爽快感も味わいたいのである。ゲームシステムの設計はいつもその間で揺れ動いている。

最後にゲームボーイウォーズの印象的な点だが、自走砲と呼ばれる遠距離攻撃ができる大砲があるのだが、それより射程がヒトコマ長いが動けない砲台がある。最終的には射程範囲の鬩ぎ合いになるため、使い捨て砲台を大量に設置することになる(現実のミサイル開発も同じだったりする)。そのことによって動けない砲台を、一度キリの使用と決めつける決断力を求められる。すなわちそれは何かを切り捨てることで、ゲームに勝利するということだ。実はゲーム自体も、2つの間で揺れ動くように作られているのだった。


2010年6月15日火曜日

ファイナルファイトについて語ろうと思う。

ファイナルファイトについて語ろうと思う。ファイナルファイトは1989年にアーケードゲームとして登場した。スーファミに移植されるのは翌年のことだった。

ファイナルファイトはベルトスクロールアクションゲームとして登場するわけだが、そこにカプコンならではの要素が組み込まれた。それはストリートファイターで培われた格闘ゲームとしての要素だった。それがゲームに大きな深みを与えると事となった。コンボや投げなどのアクションを加えることによって、敵を殴り倒すと言う爽快感の次元を更に高めた。

またケンカの達人コーディー、忍者ガイ、強き市長マイク・ハガーという3人のキャラクターも特徴的だった。スーファミ移植版ではガイは削られてしまうわけだが。 またコーディに関してはストゼロ3にて衝撃的な再登場をするわけだが。いずれにせよ、この3人のキャラクターはよくよく考えると、敵キャラに負けず劣らずの暴れん坊だ。だがそんな事はどうでもいい、やるかられるかの状況ではやるしか無いのだ。アーケードでコインを入れた瞬間からそれは始まる。無理矢理に世界に引き込まれる。だから人はアーケードに見せられアーケードに出向く。

またこのゲームには重要な技、千本パンチという技がある。ちなみにハガーは使えない。千本パンチとは従来バグの要素であったが、面白いと言うことで使用が残された。具体的な方法とはパンチを一発相手に向けて打ち、相手がひるんでいるうちに後ろ向けてパンチを一発すかす、すかさずまた相手に向かってパンチを打つ。こうすることによって、初段の素早いパンチを連続で相手に打ち込むことができる。比較的難易度の高いこのゲームでワンコインクリアを果たすのにはなくてはならない技となった。そして圧倒的な攻撃力とキャラクターで魅力のあるハガーとコーディー、ガイのキャラ魅力バランスを保つこととなる。

特にアーケードで二人協力プレイをするときにふたりとも千本パンチが使えるし、バランスを取ってハガーを入れてもいいと言うバランスの取り方もできる。要は一人のキャラでやりこみプレイもできるし、いろんなキャラクターでの楽しみ方を味わうこともできる。ただシンプルな殴りゲーにも関わらず。

この絶妙なミックス具合が日本的なアメリカのイメージを作り上げ、その世界観に引き込まれる。その世界自体何なのかと問われれば、実際には日本のイメージなので空想の産物でしか無い。この奇妙なバランス感覚がゲーム全体を通して爽快感を与えていた。僕らはなぜゲームをするのだろうか。ファイナルファイトは異なる世界に引き込んでくれるゲームだった。

2010年6月13日日曜日

ドラゴンボールZ 強襲!サイヤ人について語るか

ドラゴンボールZ 強襲!サイヤ人について語るか。ファミコン向けに作られたドラゴンボールのゲームは初代の「神龍の謎」を除き、ほぼほぼ同じゲームシステムなので、どのシリーズを選ぶか悩んだが、強襲!サイヤ人を選ぶことにした。

ドラゴンボールZ 強襲!サイヤ人は1990年にバンダイから発売されたRPGゲームだった。
飯野賢治氏が言っていたことだが、ゲームには三大悪があり、それは「キャラ物」、「続編」、「移植作品」であると言う。そういう意味ではドラゴンボールZ 強襲!サイヤ人についは、かなり黒い方に入ると思われるが、僕はこの作品を高く評価している。というのもこの作品には新しい要素が含まれていたからだ。それはカードと言う要素だった。カードの星の数だけ移動でき、戦闘で使う星の数が多いときだけ攻撃でき、流派と呼ばれる真ん中の漢字がキャラクターと一致すると攻撃力が上がる。

恐らくこのゲームシステムはカードダスの発売によるものだと思われる。カードダスの発売が1988年であり、カードシリーズの最初の作品「大魔王復活」も1988年だった。バンダイと言う企業の特徴を更にあげれば、ガンプラを売るためにガンダムを作った。そう考えると、カードダスを売るためにテレビゲームにカードダスの要素を加えさせたと見るのが適切のように思える。

ただし、経緯はどうであれ、このカードバトルシステムはRPGに影響を与え、シリーズを経るごとにゲームの中核となった。というのもこのカードシステムが取ってつけられたようなものではなく、カードがゲームシステムの中心に据えられたからだ。つまり、RPGゲームにおける操作の基本はフィールド移動と戦闘シーンになるが、その際のどちらの操作方法の中心にカードを置いたと言うことにある。このカードシステムがあるおかげで、従来のRPGに比べ選択できる行動は大きく制限された。一方で戦闘中の行動パターン(使用キャラクターにどのような行動をさせるか)は「たたかう」、「まほう」、「まもる」のパターンと比べて多様性は大きく増えた。

こうしたことを考えるとゲームデザインとは「制約」と「選択の多様性」をどのようにデザインするかと言うことであり、その2つは必ずしも比例関係にはないと言うことではないか。更にいうなれば自由度の高いゲームはとは「選択の多様性」が多いゲームであって、必ずしも「制約が少ない」ゲームを意味することではないと言うことではないか。ドラゴンボールZ 強襲!サイヤ人。そういったことを考えさせられるゲームだった。

2010年6月12日土曜日

ファミスタについて語るか

ファミスタについて語るか。ファミスタはとは1986年12月10日にナムコから発売された野球ゲームである。

初代野球ゲームといえば1983年に任天堂から発売されたベースボールがある。ベースボールは紛れもなく野球ゲームであるがチームプレイではない。その理由としては選手の個性と言うものがなく、バッターやピッチャーの能力は一定である。ただしこのファミスタは違う。

「ぴの」を代表とする足の早い選手がいたし、ピッチャーの投げられる球速も選手によって異なった。このころは実名は使用できなかったが、実際の球団をモデルにチームが組まれていた。そうすることによって野球ゲームの階段を一段登ったのがファミスタだった。また、そうすることによって、年代ごとに選手は入団や引退をするため、続く続編が作られる。その後、コナミのパワプロと野球ゲームのフィールドで戦うことになる。

選手の個性を表現したことによって、実際の球団をイメージしてゲームを遊ぶことが出来ると言う効果もあったが、もう一つ大きな効果を与えたと思う。それは球団をプレイすると言う感覚だ。任天堂のベースボールは、一人の野球選手としてプレイする。それに対してチームという個性を持ったため、チームをプレイすることになった。(チームを監督するだけのプロ野球チームをつくろうというゲームもあるのだが)

チームをプレイすると言うことは実際にはありえない。選手一人一人の人格は個別だから当然だ。ただしそれがファミスタではできる。ゲームならできる。スポーツゲームと言うものは画像を綺麗し、ゲーム要素を移植すればいいかのように考えがちだが、こうした点を考えるプレーヤーのコントロール範囲をどう設定するのかと言う点がゲームのメッセージとなると言うことだと思う。

あとファミスタは音楽も個性的だった。ムコのゲームの音楽はすべてよく作りこまれていた。プロ野球と言うドラマの中で鳴るBGMは無意識的に残り続けている。ファミスタは無意識的にプロ野球チームにさらなる愛情を産んでいき、実際のプロ野ファンも増やしていったと実感している。

2010年6月11日金曜日

ファイナルファンタジーVIについて語ろうと思う

ファイナルファンタジーVIについて語ろうと思う。ドラゴンクエスト(DQ)について語ったのなら、ファイナルファンタジー(FF)について語らなければならないのは宿命だ。

スクエアとエニックスが合併したのは2003年の話だ。ファイナルファンタジーVIが発売された1994年の時は両タイトルはライバル関係にあり、まさか同じ会社になるとは思えなかった。ただ、今でもやはりFF(ファイファンとも言ったりもしたが)と言ったらスクエアのロゴが思い浮かぶし、ドラクエと言ったらエニックスのロゴが思い浮かぶ。

ファイナルファンタジーシリーズを語る上でなぜファイナルファンタジーVIを取り上げたと言うことについて簡単に書く。その理由としてはもちろんシリーズの中でも気に入っている作品であると言うこともあるが、ファイナルファンタジーVIを通して説明されるものは「機械」と「魔法」の関係である。「剣」と「魔法」の物語であるドラゴンクエストと好対照だからだ。そしてそのことがファイナルファンタジーシリーズを大きく決定づけていると思う。

ファイナルファンタジーシリーズを通じてのテーマは「死」と「破壊」であると僕は思っている。そういったものを踏まえて人は自由に生きられるのかと言う問いが全体として投げかけられている。そうしたところが作品全体を通じての繊細さにつながっているように思う。ファイナルファンタジーVIに登場する主人公キャラ14人がそれぞれの立場から、この大きな問題に立ち向かっていることがこのゲームの奥深さである。また主人公キャラだけでなく敵キャラクターのケフカも業深き男として存在している。

と、ここまでツラツラと書いてみたがどうも考えがまとまらない。ファイナルファンタージシリーズの中の個別の作品について語るようで、シリーズ全体を思い浮かべてしまう。その理由は先に上げた、シリーズを通じてのテーマがはっきりしているからだと思う。ただそれだけではなくファイナルファンタジーVIは「機械」と「魔法」の対立を描きながらも、両方が如何にして融合すべきかを模索する作品だからだと思う。そして、全体を貫くストーリーを追うのではなく、個別のストリーを全体テーマとしてまとめ上げると言うことを決定付けた作品だったのではないだろうか。

そして、この点がプレーヤーの精神的な部分で共振させるからこそ感動を生む。ファイナルファンタジーは泣けるRPGなのだ。バラバラになりながらも集まる14人の主人公を見て、僕はそう思った。



2010年6月10日木曜日

ドラゴンクエスト3について語ろうと思う

ドラゴンクエスト3について語ろうと思う。ドラゴンクエストを語るのは勇気がいる。ファイナルファンタジーも同じだ。いつしかこの二つはゲームの中でも神聖な立場を手に入れた。

僕はそれを避けることもできたけど、やはり語りたいと思う。はじめはドラゴンクエスト3から。ドラゴンクエストシリーズは1986年に生まれ、ドラゴンクエスト3は1988年に生まれる。堀井雄二の脚本・ゲームデザイン、鳥山明のキャラクターデザイン、すぎやまこういちの音楽。発売日には店の前に数キロメートルの行列ができるなどの社会現象を巻き起こした。

1988年の2月10日の水曜日にこのゲームは発売された。平日に発売されたため、学校を休んで買いに行く子どもが現れ、400人弱が補導された。まさしくこのゲームは社会現象となった。僕の場合は祖母に買いに行ってもらい、学校から帰るとすぐに電源を入れた。そして始まるあのテーマソング。そして主人公は母親に起こされる子供。今思えば16歳にもなって母親に起こされるなよ、と思うが、一瞬で世界に引き込まれる。そして使命を与えられ、ルイーダの酒場で仲間を集める。大人の世界の変なリアリティが現れる。

今でも無意識的に考える、遊び人は将来賢者になるって本当だよなって。本当はそれは逆でドラゴンクエストが与えた影響のような気もする。要は僕の思考はもはやゲームをベースに成り立ってしまっているのかも知れない。決してそれは悪いことだとは思わないが。

そして不死鳥ラーミヤの復活、一番かっこいいラスボス、ゾーマの存在。あまりにも普通に、あまりにも要素が盛り込まれすぎていて、一人ひとりのキャラクターのストリーが追えない。世界は広すぎて、大きな話が進みすぎていて、結局やることはレベル上げになる。ここにも大人の世界の変なリアリティが現れる。

ドラゴンクエストが持つ魅力は、大人の世界が持つ変なリアリティだと思う。変なリアリティというのは現実にはそうではないんだが、大人の世界ってこんなもんだろうと考える概念上の大人の世界が、ファンタジーの世界に存在している。この要素がファンタジーと相まって、現実と理想の世界の葛藤を生んでいる気がする。

そして最後の最大のリアリティは、プレーヤー一人ひとりが運命に選ばれた勇者であるということ。またそれぞれの使命を担っているということ。人生においてこれ以上のリアリティはないんじゃないだろうか。






2010年6月9日水曜日

アイスクライマーについてでも語ろうか

アイスクライマーについてでも語ろうか。アイスクライマー1985年に任天堂から発売されたアクションゲームだ。ファミコンのゲームながらリメイクされたりしたので知名度は高いのではないだろうか。

ゲームの内容としてはフードを被り、大きな木槌を持った主人公を操作して、上へ上へと登っていくゲームである。妨害する敵キャラクターも4種類くらいある。よくよく考えるとハンマーで山をのぼるという発想には驚きのゲームだ。

僕が子供の頃には気付かなかったが、途中のボーナスステージでとるアイテムがナスなのであるが、これはボーナスとかけたものらしい。こういった遊び心も任天堂の雰囲気が出ていたと思う。

さて、このアイスクライマー最大の要素として二人同時プレイができることがある。左右に別れたスタート位置からはじまり、上に登っていく。この際に二人で協力しながら登るか、それとも邪魔をしながら登るかでゲームの味わいが大きく変わってくる。これは83年発売のマリオブラザーズからの流れと同じで、当時のマリオブラザーズに「協力するか、それとも裏切るか」などと書かれていたのと同じである。協力するか、それとも裏切るかというテーマは奥深いテーマである。その判断基準はプレーヤーに委ねられいる為、プレーヤーの状況によって変化する。敢えてのクリエーターがコントロールできない部分を残すことで、ゲームに自由度を与えているのである。

ただ、プレーヤーに委ねるといってもゲームシステムレベルで「マリオブラザーズ」と「アイスクライマー」はかなり近い。かなり近いにも関わらず、なぜ、僕らは「アイスクライマー」を鮮明に覚えているのだろうか。色々と考えてみた。僕はそれは単純に登るということへの欲求と恐怖なのだという答えを見つけた。まさにそれは現実社会での登山家と同じである。

どういう言う事かといえば、マリオブラザーズは地続きである。しかしながらアイスクライマーはどんどん登っていくのである。それゆえに穴から足を踏み外すと死んでしまう。敵に殺されるのではなく、転落死という事実の身近な恐怖感がリアリティを生むのだと思う。子供の頃(大人もそうでありたいと願うが)、敵と呼ばれる存在は身近にいることは稀だったと思う。一方、転落の恐怖は子供にとって身近だ。塀の上から、アスレチックジムの上から、子供は飛び降りる。そして、高さと言うものの恐怖を体感する。あの股間のあたりがむずがゆくなる恐怖を感じる。

アイスクライマーをプレイしていて、穴に落ちそうなとき、条件反射的にあの感覚が蘇るのである。アイスクライマーの時点で、こちら側の感覚を呼び覚ますリアリティを持っていたということに僕は驚かざるをえない。リアリティの見せ方はデータのボリュームだけでないことを痛感させる。

大人になった今、アイスクライマーを思い出す。協力するときは、いつも事前に確認をした。裏切るときは、確認をしないで始め、協力する風を装いながら裏切る。ああ、僕らの根本的な行動はあまり変わっていない。そう思った。

2010年6月8日火曜日

グラディウスについて語ろうか

グラディウスについて語ろうか。グラディウスは1985年5 月にコナミより発売されたアーケードゲームで、横スクロールのシューティングゲームだ。本来シューティングゲームを語るにはインベーダーゲームやゼビウスを外すことはできない。もちろんその両ゲームもプレイしたし、2Dの中に3Dを表現するとんでもない作り込みだったと思う。

ただし、僕はこのグラディウスが深く記憶に残り続けている。なぜなんだろう。あの音楽、「上、上、下、下、左、右、左、右、B、A」というコナミコマンド、パワーアップシステム、それぞれがオリジナリティあふれる素晴らしいものだった。音楽は今でも通用するし、コナミコマンドは初心者にとってはすごく助かった。子供だった僕はコナミコマンドなしで、あそこまで遊べたかは分からない。パワーアップシステムも、とんでもないスピードにしたり、レーザービームとダブルショットの切り替えなどシューティングゲームの戦略性を大きく広げた。すごい仕様の追加だ。ただし、たぶん、僕の記憶にここまで残り続ける理由はそれではない。

たぶんそれは、このただ広い宇宙に、ただ一機の超時空戦闘機ビックバイパーに乗り込み戦うことにある。上へ移動したときのグラフィックの変化は、広い宇宙空間を旋回するようだし、敵艦隊はデカイ。数多くの敵が攻撃をしてくる、洞窟の基地をくぐりまた宇宙空間で戦う。その瞬間、僕らは孤独な戦士となっていた。僕はその空間に無意識の内に夢中になっていたんだと思う。僕も戦わなきゃ、って思ったんだと思う。宇宙戦士の孤独な戦い、それがグラディウスだ。

最後にふと考える、今なぜシューティングゲームがリリースされないのだろう。シューティングゲームは古臭い物になってしまったのだろう。僕はそうは思わない。エースコンバットがあるしガンシューティングも立派なシューティングゲームだし、バイオハザードだってある意味シューティングゲームだ。シューティングゲームにつきものなのは、まさに打つゲームであるが故に、僕らはなぜ戦うのかということだ。シューティングゲームが古臭いと感じたら、僕らの戦う理由が古臭いということになる。周りを見てみよう。僕らが戦う理由はまだあるだろう?

2010年6月6日日曜日

BM98について語ろうか

BM98について語ろうか。今回は趣向の異なるゲームBM98について。BM98はBMS(ビーエムエス、Be-Music Source fileまたはBe-Music Data Fomat '98)とも言われる、1998年、やねうらおとNBKによって考案されたMOD感覚で音楽製作、演奏が可能なファイルフォーマットのことである。

要はコナミが出したビートマニアのPC版コピーということになる。ビートーマニアについては別の機会に話したいが、このBM98が一大ブームとなる時期があった。いわゆる音ゲーと呼ばれるジャンルは上記のビートマニアが作り出したわけだが、このBM98はビートマニアより細かい点では完成度は劣る。ただし、ビートマニアより、ユーザーの自由度と拡張性は遥かに上をいっていた。そういった意味で非常にオリジナリティあふれるコミュニティを作り出した。

端的にいってしまうと、楽曲をプレーヤーが自由に作ることができた。故に様々なプレーヤーが自分の好きな楽曲をビートマニアライクにプレイすることができたのである。そういったユーザーは自由に楽曲を公開しあい遊びあった。私の記憶が確かなら、楽曲はほとんど無料で提供されていて、もちろんププラットフォームのBM98も無料だった。そういった意味では商業的な成功は全くなかったが、インターネットにおけるインパクトは大きかったと思う。またユーザーがオリジナルの楽曲を提供することもあったが、殆どはゲーム音楽だったり、J-POPソングだった。MIDI音源をもとに作ればBM98楽曲を作ることはさほど難しいことではなかったからだ。

そしてコナミがBM98に対してゲームとしての敗北宣言ともいえる法的措置をとらざるを得なかくなる。それをきっかけに結局は楽曲の著作権が問題となり、ブームは下火となっていった。 まあある意味BM98はオープンソースの規格としてあったため、誰かが中心となってプロジェクトを立ち上げたのは間違いないが、主体の無いプラットフォームとして拡大した。こうした名もなきクリエーター達に対してゲームクリエーター、否、ビジネスとしてのゲーム会社は対応する術がなかったのだろう。現在であれば、また違った形になったかも知れないが、仮定の話をしても仕方がない。いずれにせよ、僕らは当時、ユーザー参加型としての音楽ゲームの楽しみに魅了されたのだった。

プロとして曲を書くことは出来ない、楽器は弾くことができない、だけど音楽は好きだった。そんな人達を集めて魅了して、皆が楽しんだ。そして、その一部は本当のプロミュージシャンになったかも知れない。エミュレーターやマジコンを全面的に肯定することは到底できないし、創作物に対しては敬意を払うべきである。仮定の話をしても仕方が無いといいつつ、元の楽曲作成者に、またはコナミに還元する仕組みがあったなら、どうなっていたのだろうと考えたりもする。

仮にそうだったとしても、音ゲーは次の段階にいってしまっていて、今、BM98が新しいブームを起こすことは考えづらい。遊び場のブームはブームとして消えていく。次の遊び場はどこかにできるのだろうか。それとも、そういったものは全て刈り取られてしまうのだろうか。でも僕らはそういった遊び場があったことは当事者として永遠に記憶に刻みながら、次なる遊び場を探している。僕らが遊び場を探している限り、そこに遊び場はできる。

餓狼伝説についてでも語ろう

今回のタイトルは餓狼伝説。1991年にSNKが発売した2D対戦型格闘ゲーム。さまざまハードウェアに移植された。スーファミ、メガドラ、プレステ2、Wiiにまで。でも僕がオリジナルで触れたのはアーケードに筐体だった。酒屋の前の薄暗い場所に4台ほどおかれた筐体。100円を入れて4種類のゲームから選んでプレイする、今ではもう見ないタイプの筐体だった。

運動は苦手で、友達をつくるのも上手くなかった僕は、このゲーム筐体に夢中になった。100円を何枚か握り締め筐体に向かっては全額が無くなるまでゲームに興じた。お金がなくなれば酒屋に入って日が暮れるまで立ち読みをして過ごした。アーバンチャンピオンで遊んでいた時よりかは行動範囲が広がっていた。にしても、僕の行動範囲の中心にあったのは、いつもゲームだったと思う。

実はこのゲームが生まれる91年にはストリートファイター2が発売されている。オリジナルのストリートファイターは87年だ。ただし、酒屋の軒先におかれていたゲームは餓狼伝説だったし、いわゆるゲームセンターに行ってスト2をやるのは少し先だった。スト2について語るのはこの先に譲ろう。

SNKがリリースをした餓狼伝説は、いま考えればストリートファイターに多くを影響されたものだったのろう。 タン老氏などキャラクターもストリートファイターに出ていてもおかしくなさそうである。しかしながら餓狼伝説にはオリジナリティあふれるアクションが多くあった。先のタン老氏を例に上げれば、戦いの後半には急激に大きくなり、強くなる。シビアな駆け引きの対戦ゲームを考えればなんとめちゃくちゃな仕様だ。ただし、この餓狼伝説では全く問題ない。なぜなら使えるキャラクターはテリー、アンディ、ジョーの3人のみなのだから。

このゲームバランスクラッシャーな発想は、続々と続く続編、餓狼伝説2、餓狼伝説スペシャル、餓狼伝説3、リアルバウトシリーズにも受け継がれていく。 このバランスクラッシャーとしての要素は対コンピューター戦をより面白いモノにしてくれた。そう、敵キャラクターの予想外な動きに僕らは興奮した。

このゲームが子供でも楽しめた理由は他にもある。使用キャラクター3人の特徴である。主人公であるテリー・ボガードはオールラウンドなキャラクターだった。パンツ一丁男のジョー・東はネタとしての存在感を放っていた。アンディ・ボガードはテリー・ボガードと兄弟で、日本的な技を使うキャラとして、ちょうどリュウとケンの位置にいた。当時はまったく疑問に思わなかったが、なぜパンツ一丁のムエイタイ使いが主人公キャラクターとして存在していたのだろう。

実はこのゲーム簡単に敵を倒す方法がある。アンディ・ボガードを使い斬影拳のあとしゃがみ大キックを打つのである。これでほとんのキャラクターを倒せる。実はタン老氏のみ、これが当てはまらないのだが、そんな時はジョーの出番である。パンチ連打の爆裂拳、起き上がりにこれで倒せる。バグともいえる仕様だが、これが子供には優しかったし、これで十分楽しかった。当時のゲームの目的は格ゲーであろうともゲームクリアだった。

そしてこれでゲームをクリアできたあとは、他のキャラクターで普通にゲームをクリアすればいい。いわばゲームの遊び方はプレーヤーでも開発できた。ストイックなまでの判定や目押し連続技のつなぎなどは必要なかった。いわばそんな時代に生まれた、ハリウッドスタイル的なゲームが餓狼伝説だった。僕はこれ以降、100メガショックのNEOGEOに魅了されていくのであった。

2010年6月4日金曜日

アーバンチャンピオンについて語ろうか

今回のタイトルはアーバンチャンピオン。1984年に任天堂から発売されたファミコン用ゲーム。僕らはすぐにこれに夢中になった。正確にいえば、物心ついた頃には夢中になっていた。ゲームのルールは単純で上段と下段のパンチにそれぞれの強弱があり、計四つのパンチを打ち合う。ガードは上段下段とスウェーの3つがあった。


兄弟の間で揉め事があるとアーバンチャンピオンで決着をつけることになった。僕らにとってそれはジャンケン以上にフェアなルールだったからだ。繰り出されるパンチは、頑張れば見切れる早さなのだが、一瞬油断するとふっとばされる。そんな絶妙なゲームバランスの上にできていた。本当に行きが止まるほど集中した。負けられない戦いほど集中力が増した。アーバンチャンピオンは揉め事のどちらが譲れないかを測るフェアなルールだった。


そしてパトカーが通りすがる。パトカーはこのゲームにおいて唯一の運の要素。このゲームでは画面3個分吹っ飛ばされると負けになる。ただしパトカーがくれば殴り合いを中止して元の位置に戻される。ギリギリのところでのパトカーは単調さを排除してくれる。運の要素が多ければゲームをする必要がない。ただし運の要素がなければ単調なものになってしまう。運はこのゲームのスパイスだった。

実は運以外でパトカーがくる時が一度だけある。それはタイムアップの時だ。タイムアップ時に体力の少ない方がパトカーに連れていかれる。いわゆる判定負けとなる。まだ小さな僕は、そんな時間切れなんてことがあるなんて思わずに、連行されるのも運だと思っていた。そしてふと思った、子供の頃は遊びに終わりがあるなんて思いもしなかった。人生に終わりがあることを理解をできなかった子供でも勝ち負けは理解できた。アーバンチャンピオンは勝ち負け以外の終わりがあるということを教えてくれたのかもしれない。

MMORPGについて語るか

第一回目ということでどんなゲームについて書こうかと考えていました。僕の大好きなゲームたちが頭に浮かびましたが敢えてそれらは後で書きたくなりました。エビフライは最後に食べるタイプなのです。かと言って中途半端な物は書きたくないと思ってたところ、MMORPGが面白いんじゃないかと思ったので書かせていただきます。

MMORPGとはMassively Multiplayer Online Role-Playing Game (マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム) の略で、「多人数同時参加型オンラインRPG」などと訳されています。広義のオンラインゲームといえば囲碁や麻雀なども含まれるんでしょうが、いわゆるオンラインゲームと言われてイメージするのはこのMMORRPGなのではないでしょうか。代表的なものとしてリネージュやラグナロクオンライン、ファイナルファンタジー11などがあります。プレーヤーは特に決められたストーリーを進むのではなく、小さなミッションなどをクリアしていきます。もちろん個人で遊ぶこともできますが、他のプレーヤーと協力して遊ぶことが多いです(それがオンラインゲームの醍醐味ですから)。

 さてこのMMORPGは大量のオンラインゲーム廃人を生み出しました。トイレに行く時間すら惜しく、ボトラーと呼ばれるペットボトルにおしっこをする人間もいるようです。主だったストーリーがないのになぜそこまで熱中できるのでしょうか。それは出現率が低いアイテムなどをかき集めることでハイランクのプレーヤーになることができ、そのランキングは常に他のプレーヤーとの競争になるからです。要は、プレーヤーはゲームを楽しむことより他のプレーヤーと競うことに主眼がおかれます。このゲームシステムはアイテム課金と相まって莫大な利益を上げています。

MMORPGを遊ぶユーザーがいる以上それ自体を否定することはできませんが、これ自体が楽しいゲームかどうかと聞かれると疑問を感じざるを得ません。もちろん、そのような廃人プレーではなく他のプレーヤーとの共同作業、いわゆるコミュニケーションを楽しむプレーヤー(恐らくコチラのほうが多いでしょう)もいます。ただこのコミュニケーションという面もゲームの中核に据えると危険です。コミュニケーションをするだけならゲームである必要はないのですから。

そういった意味でこれまでのゲームとは趣の異なるMMORPGは、今までとは異なるプレーヤーを生み出しました。そしてそれにともなって多くのMMORPGが提供されました。正直言って今の市場はかなりの飽和状態となっており、新規参入でビックタイトルを生むことは難しいでしょう。そういった意味ではMMORPGも新しい局面を迎えている事になります。すなわちゲームとしての面白みです。剣と魔法の世界をオンラインに移植して、適当なキャラクターを被せただけではいい加減飽きてきます。そこでカードゲームの要素を加えたり、または全く新しい要素が追加されたりしてきています。これ自体は非常に良い傾向だと思います。

ただしMMORPGにおいてもっとも重要なことは、終りの無い世界の中でユーザーはどのようなストーリーを紡ぐことができるかということです。先にも書きました通り、MMORPGはストーリー的なおわりはありません。だからユーザーが自分で独自のストーリーをつくらなくては行けません。たとえば友達と協力して、ある敵を倒すだとかです。ただしこのストーリーは自分が望む限り、もしくは周囲が望む限り終わることなのない世界です。この世界に長くいることは決して望ましいことではありません。なぜなら感動はストーリーに終わりがあってこそ生きるからです。

そう考えるとMMIRPGはゲームシステムとして、ユーザーが独自に紡ぐストーリーをどう終わらせるのかを考えてデザインをしていくひつようがありそうです。



2010年6月3日木曜日

さてゲームについて語ろうか

はじめにこのブログを始めたのはゲームについて広く知ってもらうためと、自分自身のゲーム対する想いを整理するためであります。ドラゴンクエストやファイナルファンタジーのような超太作RPGも二桁になるまで続編が作られました。初期の頃から遊ばせてもらっていた身としては懐かしくもあるとともに自分の老いを感じざるを得ません。感慨深くもあります。

さて、もともとライトなゲーマーでしたが20年以上にもわたるゲームプレイの結果、延べ数ではかなりの数のゲームをやってきました。アーケードから携帯ゲーム、メダルゲームまで幅広く遊ばせていただきました。現在も任天堂を中心にゲーム業界の勢いは留まることをしりません。ただ、ある種の危機感ももっています。続編とイージーなゲームの量産です。そしてそれに伴うクリエイティビティの喪失です。敢えてここでは多くは触れませんが、業界の方も同様の危機感を感じている方も多いでしょう。

 ゲームとは挑戦です。それはプレーヤだけでなく、クリエーターも同じく新しいゲーム体験を生み出そうと挑戦しているのです。只の消費ではなく新しい心に残る何かを創りだすために。そういったものが私の中にも刻まれています。

このブログではそういったのものの歴史と最新ゲームの情報を織りまぜながら、提供していきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。