2010年6月21日月曜日

テトリスについて語ろうか

テトリスについて語ろうか。テトリスは旧ソ連の科学者アレクセイ・パジトノフを中心とした3人が考案した教育ゲームだった。1984年にプレイアブルな状態で発表され、日本ではアーケード版テトリスがセガから1988年に発表された。同年にファミコン版もBPSから発売される。ゲームボーイ版は1989年に任天堂から。

このように様々な会社からリリースされていることからもわかるように、このテトリスと言うゲームのライセンスは非常に複雑な事になっていた。 通常企業が海外でソフトウェアを販売するときライセンス契約を締結するが、このライセンス契約の中身によって、ライセンス自体を切り分けることができる。例えばアーケード版はA社に、コンシューマー向けはB社に、C社はA社とB社の範囲を阻害しない範囲で利用可能といった具合だ。ただし複雑なライセンス契約は、ソフトウェアが売れた場合、もめる事が多い。そして大抵、もめるポイントは契約書に記載していない部分だったりするから厄介である。

おそらく、旧ソ連で作られたという事を抜きにしてもライセンスが複雑な事になっているケースは多いだろう。ただしテトリスの場合はの複雑さは、もろに表出化した。それほどまでにソフトウェアの魅力があったと言うことだろう。

ゲームのライセンスやパテントとの問題は、実は多く起こっている。ファイナルファンタジーのアクティブタイムバトルと言うゲームシステムは特許を取得している。これにより、他社は模倣をすることができなっくなっている。特許を認められるには独自性が必要なわけだが、これの判断は非常に難しい。また、ある程度のゲームシステムの保護がなければ、新しいゲームシステムを考えると言うことを放棄して、パクリだらけのゲームをが生まれかねない。ただガチガチに保護してしまえば、音楽ゲームなどのように訴訟ばかりになり、ゲーム開発現場の自由度が失われてしまう。

ゲームクリエーターとしての判断は面白いゲームを作ることに主軸が置かれ、経営者はマネー的な物を含めゲーム制作の環境をより良くすることに主軸が置かれる。これらの判断は経営者とゲームクリエーターと言う立場で異なるし、それの中で最適なバランスを保っていくべきなんであろう。

すこし話がそれたが、このテトリスと言うゲームの広がりはすごかった。キーチェーンなようなものにも盛り込まれた。文字数にして551文字のテトリスコードも書かれたりもした。このソリッドさ、シンプルさがテトリスの魅力となっている。ゲームシステムは難易度はスピード、目ずべきはスコア、ブロックを敷き詰めて消す、いっぱい同時に消すと高得点、以上である。 中毒性高めの音楽もゲームに没頭させる要因になっていると思われるが、、それは中心的要素ではない。僕らは音楽を消しても没頭できた。

上からブロックが降ってくる。僕らはこれを変えることはできない。与えられた状況でベストを尽くす。そして何時までもテトリス棒を待ち続ける。そしてテトリス棒が与えられ、全てが消えていくのだ。このゲームの目的はストーリーを追うことでもなければ、知識を詰め込むことでもなく、与えられた状況でベストの回答をより短時間出だすことだ。それを反復しながら続ける。勝ち負けは無い。いうなれば、テトリスは野球ではなくキャッチボールだ。バットとボールトの対決でなく、ボールを使った相手とのコミュニケーション。テトリスにおいては乱数と脳とのコミュニケーション。

僕らの脳は生きている限り、回転することを望んでいる。そして気持ちいの良い回転速度があるんだと思う。その回転速度を出させるゲーム がテトリスだったんだと思う。

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