2010年6月11日金曜日

ファイナルファンタジーVIについて語ろうと思う

ファイナルファンタジーVIについて語ろうと思う。ドラゴンクエスト(DQ)について語ったのなら、ファイナルファンタジー(FF)について語らなければならないのは宿命だ。

スクエアとエニックスが合併したのは2003年の話だ。ファイナルファンタジーVIが発売された1994年の時は両タイトルはライバル関係にあり、まさか同じ会社になるとは思えなかった。ただ、今でもやはりFF(ファイファンとも言ったりもしたが)と言ったらスクエアのロゴが思い浮かぶし、ドラクエと言ったらエニックスのロゴが思い浮かぶ。

ファイナルファンタジーシリーズを語る上でなぜファイナルファンタジーVIを取り上げたと言うことについて簡単に書く。その理由としてはもちろんシリーズの中でも気に入っている作品であると言うこともあるが、ファイナルファンタジーVIを通して説明されるものは「機械」と「魔法」の関係である。「剣」と「魔法」の物語であるドラゴンクエストと好対照だからだ。そしてそのことがファイナルファンタジーシリーズを大きく決定づけていると思う。

ファイナルファンタジーシリーズを通じてのテーマは「死」と「破壊」であると僕は思っている。そういったものを踏まえて人は自由に生きられるのかと言う問いが全体として投げかけられている。そうしたところが作品全体を通じての繊細さにつながっているように思う。ファイナルファンタジーVIに登場する主人公キャラ14人がそれぞれの立場から、この大きな問題に立ち向かっていることがこのゲームの奥深さである。また主人公キャラだけでなく敵キャラクターのケフカも業深き男として存在している。

と、ここまでツラツラと書いてみたがどうも考えがまとまらない。ファイナルファンタージシリーズの中の個別の作品について語るようで、シリーズ全体を思い浮かべてしまう。その理由は先に上げた、シリーズを通じてのテーマがはっきりしているからだと思う。ただそれだけではなくファイナルファンタジーVIは「機械」と「魔法」の対立を描きながらも、両方が如何にして融合すべきかを模索する作品だからだと思う。そして、全体を貫くストーリーを追うのではなく、個別のストリーを全体テーマとしてまとめ上げると言うことを決定付けた作品だったのではないだろうか。

そして、この点がプレーヤーの精神的な部分で共振させるからこそ感動を生む。ファイナルファンタジーは泣けるRPGなのだ。バラバラになりながらも集まる14人の主人公を見て、僕はそう思った。



0 件のコメント: