2010年7月8日木曜日

スーパーマリオブラザーズについて語ろう

スーパーマリオブラザーズについて語ろう。スーパーマリオというばご存知、任天堂から発売されたアクションゲームだ。発売は1985年。任天堂の宮本茂氏の最高傑作の一つである。このゲーム敵を踏んづけて倒すという単純ゲームだが、数多くの微調整がなされている。

まずアイテム。きのこを食べて強くなるというのも、些かサイケデリックな気もしないでもないがきのこがニョキニョキ生えてくる様子は、アイテムが出現した喜びを増強させる。ちなみに僕はずっとクリボーもきのこだと思っていたが、クリボーは栗らしい。次にスターやファイヤーフラワーなどの強化アイテム。これらの強化は単純に強くなるのではなく、ゲームをサポートする為に作られた。これがもしも、RPGのようにどんどん強くなる性質のものだったらプレーヤーは自身のスキルの挑戦をしなかったのではないか。後述しようと思うが、自身のスキルへの挑戦ということが、このゲームの肝だと思う。いずれにせよ各種登場するアイテムはゲームの難易度を絶妙にコントロールしているし、その気になればアイテムを使用しないでもクリアできるように設定されている。

次に無限アップである。本来はバグであるが、段差等でノコノコを踏み続けることで無限に機数を増やすことができる。バグであるからして、仕様という言葉は避けたいところではあるが、この無限アップがあったおかげで僕はスーパーマリオをクリアすることができた。コンティニュー機能がない本作では、無限アップをしてから各ステージの難関に挑戦することができた。そしてあくまで、増えるのが機数だというところが大きい。いくら機数が増えてもステージクリアに必要な自身のスキルは変わらないのだ。

あくまで自身のスキルに挑戦するゲームとしてあり続けるスーパーマリオブラザーズは多くの人間を虜にした。僕が小学生の時、一人で祖父が練習していたの覚えている。そもそも祖父は孫の喜ぶ顔がみたくてプレイしてということを後々になって知るわけだが。いずれにせよ、幅広い年齢層に遊んでもらえるゲームを任天堂は生み出した。そしてその遺伝子は(宮本遺伝子と言ってもいいだろう)受け継げれている。任天堂は20年経った今でも、皆に遊んでもらえるゲームを作ろうとしている。ゲームを通じたコミュニケーションをデザインするその思想は今でも変わらない。

スーパーマリオブラザーズについては、例えばマリオのヒゲは右左が判断しやすいようにつけられたとか、画像データ数を減らすために雲と草の画像を使いまわしているだとか、ジャンプボタンを押し続けるとジャンプが伸びるように設定されているとか、細かい設定や調整は挙げればキリがない。それほどまでに作りこまれたゲームなのだが、それをすべてあげるのは無粋だろう。それらは、ゲームを通じたコミュニケーションを形成する一部なのだから。

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